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2014-10-28 15:42:00

かもんからさらに坂を100メートルほどのぼると、南平台の大きな家並みになります。

淡い黄色の陶器タイルで彩られたひときわ美しい塀に囲まれたところに元首相三木武夫氏の旧居があります。

三木首相・・・1974年から第66代首相を務めた方だそうです。歴代首相では珍しく(?)クリーンな政治家というイメージが定着しているようです。

一時期は「三木武夫記念館」として公開もされていたそうです。

 

 

2014-10-24 16:54:00

  意外にも、新年にお餅も食べず門松もたてない村や部落は日本の諸地にかなり散在しているのだが、上州には特に多い。その上州でもある郡では諸町村の大部分が昔から新年を祝う風習をもっていない。それでも、ま、新年のオツキアイだけは気持ばかり致しましょう、というわけか、三ガ日だけウドンを食べる。

(中略)


  どうして新年にウドンを食うかということについては昔からいろいろ云われているが、いずれも納得できるものではない。むしろ、上州ばかりでなく、日本の諸地では昔から新年にウドンを食っていたのかも知れない。餅をくって門松をたてる風習の方が後にできてやがて日本中に流行してしまったのかも知れず、そのとき意地ッぱりの村があって、オレだけはウドンをやめないとガンバリつづけたのが今に残ったのかも知れない。上州にはそういう意地ッぱりの気風があるようだ。

             坂口安吾 「餅のタタリ」1954年 より

2014-10-17 13:11:00

  さて、現代画家でもっとも高く、もっとも多くの自作をもっとも手広く売り拡めんがためには、金持ちの応接間はことごとく上がり込むだけの勇気と、手打ちうどんの如き太き神経を必要とするだろう。自分で絵を作り価格を考え、外交員ともなり、自個の芸術的存在を明らかにし、その作品のよろしきものだという証拠の製造もやるといえば、まったく精力と健康も必要だろう。それで本当にいい作品が出来れば幸いだが、天は二物を与えずともいわれている。
  それらの健康と太き神経なく、金持ちの応接室と聞いただけでも便通を催すという潔癖なる神様で、パトロンも金もなかったら、この現代ではいかに善き作品を作っても、作れば作るほど、食物が得られない。さてパトロンなるものも左様に多く転がって存在するわけでもなく、万一あったとしても、それはかの愛妾達がする体験を画家もやってみねばならないことであり、神経が尖っていれば辛抱は出来ないだろう。

               小出楢重 「めでたき風景」 1930年 より

2014-10-13 17:01:00

  東京の冬の夜と来たら実にたまつたものでないのです。道は石のやうに凍り、吹く風は身をきるばかり。殊に青山の大通は道幅の広いだけに風の当が強く、晴天がつゞくと此寒い風が更に砂を捲いて顔にぶつかるのです。処が其夜は雪あがりで砂の厄難のないかはり、道が氷の上のやうにすべる、僕は物ともせず頸をすくめてどし/\歩きました。
  道はまるで無人の境です。人つ子一人通つて居ません。街灯が寒さうな光をかすかに放つて居るばかり。
  星斗闌干(せいとらんかん)、武蔵野は晴れに晴れて、大空を仰げば気も遠くなるばかり。天の川白く霜を帯びて下界を圧して居るのです。
  かういふ晩に車に乗るは却て寒気(かんき)を増すばかりなることを僕はよく知つて居ますから、此寒さにも客まちして居る車夫の一人を見ましたけれども乗りません。どし/\歩きました。
  新坂を下りると鍋焼うどんが居ました。一人の若い男が頻りと甘さうに食べて居ました。

                國木田獨歩 「夜の赤坂」 1930年より

2014-10-10 17:14:00

極澹泊な独身生活をしている主人は、下女の竹に饂飩の玉を買って来させて、台所で煮させて、二人に酒を出した。この家では茶を煮るときは、名物の鶴の子より旨いというので、焼芋を買わせる。常磐橋の辻から、京町へ曲がる角に釜を据えて、手拭を被った爺いさんが、「ほっこり、ほっこり、焼立ほっこり」と呼んで売っているのである。酒は自分では飲まないが、心易い友達に飲ませるときは、好な饂飩を買わせる。これも焼芋の釜の据えてある角から二三軒目で、色の褪めた紺暖簾に、文六と染め抜いてある家へ買いに遣るのである。

             森鴎外 「独身」 1910年 より

 

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